アジアへ開かれた街として、屋台文化に代表されるグルメの街として、令和の元になった歴史ある地域として、いま注目を集める都市・福岡。ショートショート フィルムフェスティバル & アジア in FUKUOKA が開催されるなど、ショートフィルムや映画とも縁が深い地域だと言えるでしょう。
東京にいては気づかない「別視点」で、日本映画の今とこれからを考察する福岡在住の映画監督・神保慶政さんの連載コラム。2回目の今回は、福岡県直方市で開催されている「直方映画祭」の取り組みから、地域密着型の映画について考えます。
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ショートフィルム『えんえんと、えんえんと』スタッフ・キャストと
博多からJR福北ゆたか線で約1時間。その終点に直方(のおがた)という場所があります。私も福岡に来てから初めて直方という地名を知りましたが、筑豊というと県外の方もいくらかイメージが湧くのではないでしょうか。かつて直方を含めた筑豊炭田は、国内最大の炭鉱地帯でした。1960年代から1970年代にかけて炭鉱が閉山していき、基幹産業を失った筑豊の町は変化を強いられました。
現在、アーケード街にはややがらんとした光景が広がっています。これは、よくある地方都市の光景ともいえるかもしれません。そんな直方では2013年から直方映画祭が開催され、私が監督したショートフィルム『えんえんと、えんえんと』は2017年の映画祭のために製作されました。
今回はどのようにしてこの映画が製作され、私のその後にどうそれが活きたかという話も含めながら、地方映画祭のあり方を考えていければと思います。
直方映画祭・お寺での上映風景
直方映画祭は直方商工会議所が中心となって実行委員会が組織されています。直方を多くの人に知ってもらうという「外向き」の目標よりも、普段なかなか観ることができないインディペンデント映画を地元の方に届けることや、単純に「みんなで一緒に暗闇の中で映画を観る」という体験を提供することで、商店街を活気づけようという趣旨ではじまりました。
プログラム一例
アーケード街、お寺、元病院の洋館、料亭など、普段は映画鑑賞が行われない場所にスクリーンと音響設備が設置されて、上映が行われます。一部イベントを除き入場無料で、作品ラインナップは新旧・邦洋様々です。
また、大作映画のみではなく、東京では話題になっているけれども福岡までなかなか届かないインディペンデント映画も多く上映されてきました。私は初めて映画のフライヤーを見たとき、尖ったセレクションでありながらも、たまたま入った上映会場で運命的な出会いを果たせるような、とても練られたラインナップだと思いました。
実行委員会は、毎年5月頃から映画祭が開催される10・11月頃まで期間限定の組織です。上映作品の選考は複数人で行い、映画という幅広いジャンルの中から、コアなものをセレクトするように心がけているそうです。名古屋の映画館・シネマスコーレの坪井副支配人を追ったドキュメンタリー『劇場版 シネマ狂想曲~名古屋映画館革命~』のプレミア上映が行われたことは、そのスタンスを象徴していると思います。
そんな直方映画祭から、2017年にショートフィルム制作のオファーをいただきました。直方映画祭は例年10月か11月に開催されていますが、私が連絡をもらったのは韓国・釜山で『憧れ』を制作している最中、2017年4月でした。
映画祭を担当している直方商工会議所の河野さんとは、その年の年初にあった「福岡電影連合」(福岡市内で不定期されているの映画集会)でお会いしていて、私は韓国から帰国後に直方を初めて訪れました。
直方市遠賀川の景観
福岡市内出身の妻は、福岡市内から直方までの距離感を「東京から静岡に行く感じ」と表現していましたが、たしかに博多駅から1時間電車に乗って田畑やトンネルを抜けていくため、実際の距離(約50km)よりも「遠くに来た」と感じたのをよく覚えています。
私の長編『僕はもうすぐ十一歳になる。』を気に入ってくださったということで、2017年の直方映画祭で上映するためのショートフィルムを監督してほしいというオファーでしたが、最初に予算(ここに明記することはできませんが)を聞いた時には「無理かもしれないな」と思いました。
おそらく私が映画学校在籍中、あるいは卒業したばかりであれば予算に関係なく、監督・上映の機会をもらえるだけで即決したでしょう。私が今まで撮った映画はすべてそのパターンなのですが、撮る作品の最初の上映の場が確約されているということは、つくり手にとっては安心なのです。
撮影風景
しかし、予算の中からスタッフ・キャストのギャラや機材費を確保しなければいけないですし、私も脚本・監督・編集料はもらわなければいけないです。予算を計算すると、その他の衣装・美術費や現場費(撮影当日に使うお金)はごくわずか、撮影は2日が限界と算出できました。そこで私は「撮影にはたったこれだけのお金しか使えない。それでもいいか。もうすこしワイワイと地域おこしのようにやりたいのであれば、ノーギャラ体制でスタッフ・キャストを組む若い作家に頼んだほうがいい。それでも自分に頼んでくれるようならば、この予算でできる表現を考える」と伝えました。
私が監督した最初の数作では、費用・時間面で多大な借りをスタッフ・キャストに作る形で撮影が成立していました。そして、そうしたインディペンデント映画は多数あると思います。
そうした制作体制の映画から数多くの名作が生まれてきたことは事実でしょう。しかし、予算がきついのは承知ながらもまずは自分がしっかりとスタッフ・キャストに対して払わないと映画づくりのサイクルが立ち行かなく、自分も監督料をもらうこと(監督として生きること)ができないと、数作を監督する中で自覚していきました。
『えんえんと、えんえんと』場面写真
世の中には小さな映画祭から大きな映画祭まで様々ありますが、製作事業も手がける映画祭はいくらかの資金を製作者に提供します。提供される資金には、2パターンの使い道があります。
⒈資金をもとに、さらに資金を集めて製作を行う
⒉資金内で全て済む形で(あるいは製作者がさらに私財を投入して)製作を行う
一般的なビジネスや商業映画において前者の選択肢は大いにありえますが、映画祭が製作する映画は、ほぼ確実に後者を前提にして予算組み・依頼がなされます。その支給金額は数十万円の場合もあります。ではそのぐらいの資金で映画を撮影することは、果たして可能なのでしょうか?
結論からいえば可能です。可能なのですが、概してインディペンデント映画のキャスト・スタッフはできるだけ良い作品を作りたいと頑張りすぎてしまうものです。
その頑張りの勢いのようなものが、町おこしのパワーにつながるということももちろんあり得るでしょう。しかし、その「頑張り」がゆえに何か事故が起こってしまっては、元も子もありません。果たして、作品の内容とあわせて、そうした安全面をどれだけの主催者・製作者が意識しているでしょうか。
2019年6月に経済産業省から「将来の映画人材創出に向けて映画制作現場実態調査を実施します」というニュースリリースがありましたが、この調査が実施される背景には、現場の不十分な安全体制がある(問題があるから調査がなされる)はずです。
頑張り第一か、安全第一かによって撮影現場や作品の内容は全く違うものになります。幸い、直方映画祭とは「無理はしない」という合意を最初にできたので、気持ちよく制作をスタートすることができました。
そして、限られた予算と条件の中で、釜山で『憧れ』を一緒につくった録音スタッフに参加してもらい、「地方から世界へ」という2017年の映画祭のテーマに沿って日韓合作映画にすることも叶い、結果的に韓国・イラン・ドイツなど海外でも上映されるような作品が完成しました。
『えんえんと、えんえんと』撮影風景
2017年の直方映画祭は10月の開催で、制作準備は6月から始めました。自宅から直方は片道1時間強の距離ではありますが、まずは2泊3日滞在して話の題材を練りました。
地方発の映画(いわゆる「ご当地映画」)には、名物や持ち味の景観を入れたいという出資者・主催者側の強い意向がある場合も多いでしょう。キャストが美味しそうに名物を食べるシーン、町や自然のきれいなドローンショットは確かにその地方の人々にとってはアピールができて嬉しいかもしれません。しかし、映画は「おいしさ」「きれいさ」などを伝えるのに最適かという点、つまり映画でしかできない表現というのは何なのかという点は、制作者がリードして検討されるべきではないかと私は思います。
どのようなことを映画の題材にするかは作家によって違いますが、私は誰かから依頼をもらったときには、依頼者が「まだ開けていない引き出し」を開けるような作品にすることを意識しています。
『えんえんと、えんえんと』のワンシーン
『えんえんと、えんえんと』の脚本を書いている時に、迷ったことがありました。それは、町の中心とも言えるアーケード街を撮るかどうかです。ベタにいけば撮らない手はないのですが、私は迷った末に敢えてアーケード街を撮りませんでした。そして、その部分を空白にすることで生まれる表現を大事にしようと思いました。
「直方は素晴らしい場所です」というアピールももちろん大事にしました。しかし、そこに「おもしろさ」を宿らせるためには、リスクをとりながらできるだけ多くの「難しさ」(内容の難しさではなく、プロセスの難しさ)に挑戦することが必要であると私は考えています。
私は結果的に、直方に実際住んでいる人の記憶(そのほとんどは直方に関する記憶ではない)について話を聞くという選択をしました。ストーリーは、人々の断片的な記憶を、主人公の女の子(直方住民の設定)が拾い集めていく過程です。時に私がリスクの高い選択をする様子を、直方映画祭は静かに見守っていてくれました。
直方のアーケード街
毎年恒例行事のように開催されている映画祭は、もしかしたらなくなるのかもしれません。当たり前のことですが、映画祭というのは誰か(個人・組織・企業)が運営しています。つまり、運営者に続けられない事情があれば、映画祭はなくなります。
かといって、観客に主体的な関与やリアクションを過度に求めていいかというと、必ずしもそうではないと思います。あくまで観客は観客のままでいる自由があり、そこは強制することはできないからです。
では、映画祭が観客にお願いできることがあるとすれば何でしょうか。それは、非常に単純ではありますが、知り合い、特に10〜20代の若い世代、子どもに映画祭のことを伝えてもらう、あるいは彼らを映画祭に連れてきてもらうことです。
『えんえんと、えんえんと』キャスト・スタッフと
そしてここが非常に重要な点なのですが、観客、ひいては映画祭に関わる人がより多様になれば、魚が産まれた川に遡上するように戻ってきます。
最後にその例として、私が直方映画祭にもらったご縁を紹介します。私が2018年に撮った新作長編映画『On the Zero Line』は、イラン・シンガポールとの合作で、日本・シンガポール・ケニアで撮影を行い、福岡ロケのほとんどを直方で行いました。
『On the Zero Line』撮影の模様
『えんえんと、えんえんと』が完成した後、直方映画祭を手伝われていた方が、「Bouton」というカフェバーをアーケード街の一角にオープンされていました(Boutonはフランス語で「ボタン・つぼみ」を意味する)。ボタン屋だった店舗を、リノベーションしてカフェバーにして、将来的にはゲストハウスを併設するという計画。それを『On the Zero Line』の撮影準備をしながら聞きました。
脚本の草案を書いていたときには全く考えていなかったですが、ストーリーを書き進める中で、Boutonについて見聞きしていることが、私の考えに大きく影響していることに気付きました。そして、2018年6月にBoutonをロケ地にして撮影を行いました。
夜の商店街に光を灯すBouton
『On the Zero Line』の製作に直方映画祭は関わっていませんが、直方映画祭がなければ『On the Zero Line』で描いたストーリーは存在しませんでした。2017年にショートフィルム制作のオファーをもらったときは、私も直方映画祭もこうした展開になるとは想像していませんでしたが、私は作家として、作品という枠の内でも外でも良い関係が築かれることが、作品を多くの人に観てもらえるのと同じぐらい嬉しく感じます。
そしてそれは、映画祭にとっても同様だと思います。
直方映画祭は、中心市街地の活性化が大前提にあるイベントで、県や市からの補助を受けて成立してきましたが、ある程度の認知が高まりだしてきたことから、入場料金の徴収や、スポンサーからの協賛をもとにした運営にシフトしていくことを考えているそうです。私も直方映画祭の今までの良い流れを継続するために、できる限り力になれればと考えています。
次回は、「ショートショートフィルムフェスティバル in 福岡」で開催させていただいた子ども映画ワークショップを例に、「良いサイクル」の話をお伝えできればと思います。
(了)