いよいよ6月4日(月)から始まる、ショートショート フィルムフェスティバル & アジア 2018 (SSFF & ASIA 2018)。開幕直前の特集として、創設初期から映画祭を支えてきた東野正剛氏に特別インタビューを行い、今年度上映作品のオススメや、映画祭の歴史を聞いた。
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まず、フェスティバルディレクターとは、どういったお仕事なのでしょうか?
東野アジア最大級の国際短編映画祭を代表して、海外の映画祭の人たちとのネットワークを広げたり、日本の作品を海外に紹介するような仕事です。
作品選定にも関わっていらっしゃるんでしょうか?
東野はい。今年の作品公募では、世界中から1万本を超える作品が集まりました。それらの作品の中からオフィシャルコンペティションや、地球を救え!部門などのノミネート作品を決める選考委員の一人として、携わっています。
東野正剛氏
今年の上映プログラムでオススメはありますか?
東野新しく新設された「ノンフィクション部門 supported by ヤフー株式会社」です。ドキュメンタリー作品は尺が長い作品が多く、今までコンペティションの中で紹介する機会が少なかったんですが、今年はヤフー株式会社のサポートもあり、全世界から集まった優れたノンフィクション作品を観られるようになりました。
上映プログラムにはいくつか特別上映作品もあります。その中でオススメなのは3月に米アカデミー賞メイクアップ&ヘアスタイリング賞に輝いた、メイクアップアーティスト辻一弘さんの創作活動を取材した『Human Face(ヒューマン・フェイス)』という作品です。彼の緻密な作業、そしてアートワーク、世界観を描いたドキュメンタリーで、非常に見ごたえがあります。彼がいかに偉大なアーティストかが分かります。
印象に残ったシーンはありますか?
東野リンカーンの特殊メイクなど、彼の作品は人形ではなく、まるで生きているような、生身の人間と変わらない見た目で、本当にびっくりしました。
そして辻さんが作中でお話していましたが、彼のアーティストとしての仕事はお金や名誉のためではなく、ご自身のライフワーク、人生そのものだそうです。そうした生き様に触れられるのが、ドキュメンタリーの醍醐味であり、面白さでもありますね。
『ヒューマン・フェイス』
他にはオススメのプログラムはありますか?
東野「戦争と生きる力プログラム supported by 赤十字」もオススメです。このプログラムは赤十字国際委員会に協力して頂いて今年で3年目になります。毎年全世界から、戦争から生まれる悲劇や、難民をテーマにした作品がたくさん集まります。大事なのはきっと、こういう作品を通して自分たちの平和な暮らしは当たり前ではないと感じてもらったり、少しでも世界の状況に興味を持ってもらったりすることだと思います。観た人の中で何か変わるものがあればいいなと思います。
なかでも、国境警備員とその周りで遊ぶ子どもたちのお話『Are You Volleyball?(バレーボール)』は、スペイン・バルセロナのスポーツ映画祭でグランプリをとっており、とても心が温まる作品です。
『バレーボール』
それから、日本からの応募が少ない中、東京大空襲を描いた『1945年3月、東京』というアニメーション作品は、現代の日本でもこのような重いテーマを扱う監督がいるんだなあと感じられてとても良いなと思いますね。
『1945年3月東京』
「戦争と生きる力プログラム」の作品はどう選ばれているのですか?
東野このプログラムはコンペティションではなく、映画祭で集まった作品の中からテーマに合った作品を選んでいます。アニメーションだったりドキュメンタリーだったりドラマだったり、幅の広いジャンルがあり、手法も様々な作品があります。
東野さんは毎年海外出張をされていて、以前は海外で働いていた経験もお持ちとのことですが、その中で戦争や平和というテーマを身近に感じたことはありますか?
東野去年パリに行った時、シリアからの難民の方々が街頭やメトロで子供を抱きながら物乞いをしている情景を多く目の当たりにしました。特に女性と子供たちが多かったですね。日本の新聞で見るような遠い世界の中のニュースを、間近に感じました。
映画にはきっと、観た人にそのようなことを追体験させる力もありますね
東野そうですね。現実に起こっていることを、実際に行かなくても体験できる。たとえば『A State Of Emergency(緊急事態)』という作品。この作品では、兵士たちが、街中にスーツケースがポンと置いてあるのを発見しただけで、「爆弾かもしれない」と異常事態に発展していくんですが、緊迫感がひしひしと伝わってきます。これは、近年毎年のようにテロが起きているフランスの現状を描いているんです。
私も、凱旋門につながるシャンゼリゼという有名な観光スポットで、警察でなく兵士がマシンガンのような銃を持ってパトロールしてるシーンに出くわしました。60年代のゴダールの『勝手にしやがれ』という映画や、アランドロンが出てきそうな恋愛映画みたいな、パリの良いイメージとは全然違う。そういう日本では絶対ありえない光景には、ドキッとさせられました。
『緊急事態』
東野さんがSSFF & ASIAで働き始めたのはいつごろでしょうか?
東野2000年の9月からショートショートで仕事を始めました。当時は「アメリカン ショートショート フィルムフェスティバル」とう名前で、その名前での開催としては最後の年でした。
20年の歴史の中の、18年は携わっているというとですね。
東野そうですね。
映画祭の仕事を始めた当初と現在で、映画祭はどう変わりましたか?
東野規模が大きく変わりました。当時は別所さんと、もう一人の映画祭創設者のプロデューサー、僕、アシスタントの4名だけで、別所さん自らの運転で営業に行っていました。また当時はアメリカに3名のスタッフがいて、公募、協賛集め、作品選考はアメリカチームと日本チームのコラボ作業で行っていました。それも2005年くらいで終わり、現在の日本事務局だけの形となりました。
映画祭の性格や、目指すものは変化しましたか?
東野いえ、当時から別所さんは四つの柱を思い描いていて、それは今も変わっていません。一つ目は、ショートフィルムを上映する中で国際交流を図ること。二つ目は、地方活性化のツールとして映画祭を活用してもらうこと。三つ目が、若いクリエイターの育成。そして最後が、ショートフィルムのコンテンツのディベロップメント、マーケット構築でした。
コンテンツのディベロップメントというと?
東野別所さんがこの映画祭を始めた1999年当時は、ブロードバンドという言葉が出始めてまもないころで、スマホどころかパソコンで動画が観られるというのも考えられない時代だったんですね。そんな時代にマイクロソフトが動画が観られるようなアプリを始めた。そこで、「将来パソコンなどで映像を観るときに、長い映像ではなくて、きっと短いものがもっともっと活用されてくるのでは?」と彼は思ったんです。
当初は、私も不安だったんですが、時代とともにインターネットやスマホなどハードの部分でも非常に性能が良くなり、今では動画が当たり前のように観られるようになりました。ショートフィルムが今の時代にぴったりになりました。
四つの柱の中でも特に四つ目に力を入れているということですか?
東野地域活性化の部分は、現在は観光映像大賞という形で貢献してますし、国際交流の面でも、SSFF & ASIAは米アカデミー賞公認映画祭となって、アジア最大級の映画祭として成長しました。過去20年間いろんな若手監督に参加していただき、セミナーでは有名な方々を招いて若手育成にもなっていると思います。基本的に四つの柱はすべて成長していると思います。
別所さんが地方開催という面に力を入れていた理由はなんだったんでしょうか?
東野単純にもっともっといろんな人に見てもらいたいという想いですね。当時はオンラインで観ることもできないので、大阪や沖縄に行ったり、札幌に行ったりしたんです。その札幌が成功し、一緒にやったプロデューサーや仲間が札幌国際短編映画祭を立ち上げた、という経緯もあります。
最後にBrillia SHORTSHORTS THEATHRE ONLINE読者の皆さんに一言お願いします
東野ショートフィルムをご覧いただければ、映画は長さじゃないということが分かって頂けると思います。長くても25分以下、短いものはほんの数分の作品です。その中に全世界の若手監督たちが伝えたいことを凝縮し、非常にメッセージ性も強く、映画作りの手法としてもオリジナル性があるものもたくさんあります。なので、観たことがないという方はまずオンラインの作品を観て頂きたいですし、実際に映画祭に足を運んでもらって、コンペティションの作品を観て頂きたいです。6月13日から17日は海外監督のQ&Aが多くありますので、制作の裏話などが聞けて、面白さが倍増すると思います。
東野 正剛 (とうの・せいごう)
SSFF & ASIA フェスティバル・ディレクター。
1968年生まれ。カリフォルニア州ペッパーダイン大でジャーナリズムを専攻。卒業後、渡仏。3年間をクレルモンフェラン市に滞在する。以後、ロサンゼルスでショートフィルムの制作、ハリウッド映画の製作に携わる。2000年からは、毎年6月に原宿表参道で開催される「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア」の事務局長として参加。現在は、同映画祭のフェスティバル・ディレクター。