京都の町屋でインテリアコーディネート業を営むDECO-TE(デコ・テ)と申します。
このコラムでは映画のインテリアに焦点をあて、物語をより深く味わう体験を一緒に楽しんでいきたいと考えています。映画のセット、背景をつくる方々を「美術さん」とよびますが、インテリアコーディネーターが「こうありたい」という理想や未来に向かって部屋を作るのに対して、彼らは過去の蓄積が表出した姿を作り込みます。映画をみるときはおしゃれかどうかは関係なく、住人の人間性がダダ漏れているお部屋にキュンとします。
毎回その映画の空気感を感じられるようなアイテムもご紹介していきますので、お楽しみいただければ幸いです。
みなさま、お変わりないでしょうか。
私は世界情勢と日本の政治が気になり、Xばかりみています。やはり戦争はいけない。数々の映画が訴えてきたことです。私は1974年生まれですが、『プラトーン』『グッドモーニングベトナム』などで戦争の非人道性をみてきたし、大学でベトナムに行った時は、手足のない方を板に乗せて物乞いをしている方がいて、戦争の傷跡を初めて目にして衝撃を受けました。
去年の8月「映画にみるインテリア vol.17」でご紹介させていただいた『戦場のピアニスト』も、普通に生活していた主人公とその家族が、戦争とジェノサイドの渦に巻き込まれ極限まで追い込まれて行く様子が描かれていました。「日本は戦争なんてしないよ」とのんびりしているうちに状況はある日とつぜん変わる。もっと多くの人が本や映画をみることで、日本の平和のために一人一人がなにをすべきか考えるきっかけになるんじゃないかと思っています。
今月のテーマは女性の権利向上とジェンダー平等を目指す国際女性デーおよび、国際女性史月間に向けて、世界の女性監督による4つの視点「Dear My Life ―私を生きる、4つの物語」です。
フェミニズムは女性だけの権利を主張するのではなく、男女ともに平等の人権を求めていこうという思想です。しかし特に女性が声をあげざるを得ないのは、不平等や虐待が最初に女性や子供など力の弱い人たちに向けられるからです。そういう声を拾いあげてくれる当事者として、女性の監督が増えている現状は心強いです。
『私を追いかける影 / Shadows』はフランスの映画ですが、イラクのバグダッドから逃れてきた14歳の母親アフラームが主人公です。アフラーム本人が語るナレーションをバックに、アニメーションで表現します。少女のそばにいつも牡鹿がいるのは、彼女が自分自身の状況を「狼の群れの中にいる鹿のようだった」と語ったことからインスピレーションを得ているようです。

しあわせで平凡な少女時代は、母親の死によってとつぜん終わりを告げました。13歳の時に会ったこともない男性に見初められ結婚、病院でもっとも若い母として息子を出産します。しかし「子供に子供は育てられない」と我が子を取り上げられ、精神的に不安定な夫の暴力から逃げるために彼女は家を飛び出します。
語っている時点でアフラームは15歳、先日中学を卒業した息子と同い年です。まわりに守ってくれる大人が一人もいない、彼女の目から見える世界はなんと怖いところでしょうか。子供が子供のままでいられない世界、当然ですが紛争や貧困とも無関係ではないと思います。
(C)2015, SUMMER 1993
女性監督特集ということでスペインの女性監督カルラ・シモンのデビュー作、『悲しみよ、こんにちは』はいかがでしょうか。原題は”Estiu 1993”、Estiu (エスティウ)はスペイン・カタルーニャ語で夏を意味します。バルセロナで暮らしていた6歳のフリダが両親を亡くし、叔父に引き取られた最初の一夏を描いた映画です。
都会っ子のフリダが目にするのは豊かなカタルーニャの自然と暮らし、あらたにパパとママになる叔父夫婦、二人の子供となった目から見る大好きだった祖父母。音楽はなく、聞こえてくるのは人の声や生活音、自然の音と楽器だけ、静かな映画です。ドラマチックな場面は一切なく、あたらしくできた妹との子供らしいおままごとなどを淡々と長回しで見つめます。
(C)2015, SUMMER 1993
監督のみずみずしい感性を感じました。突然の両親の不在、はっきりとわからない死因、そのことに対する周りの反応など日常を描いていますが、彼女がいまだに混乱の中にいる様子が随所に感じられます。フリダの演技力はもちろんですが、やはり監督の「どこからなにを見つめるのか」という強い意思を感じました。
(C)2015, SUMMER 1993
飽きずにみられるのはカタルーニャの自然がすばらしいということもあると思います。去年行ったスペインでよく見かけた石造りの家、夏ということもあり、生活が外にはみ出している様子がダイナミックで楽しめました。昔の日本の家は木や土、紙など軽いものでできていて、内と外との境界が曖昧とはよく言われるのですが、大きい石を積んで分厚く、厳然と外との境界を築いている内側が、すでに外のような。内も外も裸足で歩き回っているからなのか、石造りの内側が洞穴のように感じられるからか。興味深い暮らしの風景でした。
↑フリダが両親と暮らしたバルセロナのお家に、こんな椅子が置かれていました。ラタンと無垢材といった自然素材とスチールパイプを曲げてキャンティレバー(片持ち梁)構造にしたハイブリッドなデザイン。1920年代、バウハウスのマルセル・ブロイヤーによってデザインされたうつくしい椅子です。