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MAGAZINE
INTERVIEW
Feb. 13, 2019

【ミニシアターを訪ねて】まちづくり視点で経営する映画館
〜横浜「シネマ・ジャック&ベティ」梶原俊幸さん〜

JR「関内」駅を降りて、海とは反対側に進むとそこは横浜の下町。そのさらに奥、伊勢佐木町と黄金町の間に「シネマ・ジャック&ベティ」というミニシアターがある。ローカルな映画館ながら、アートフィルムや社会派ドキュメンタリーなど、大手シネコンとは一線を画したラインナップを2スクリーンで上映し、映画好きに広く知られた存在だ。
数多くの映画の舞台にもなっているここ横浜の地で、映画文化を守り続けているのが支配人の梶原俊幸さんだ。聞けば、異業種の出身で、黄金町エリアのまちづくりに携わるうちに映画館の経営を引き継ぐことになったとのこと。
クラウドファンディング「Motion Gallery」や、自主上映会のプラットフォーム「popcorn」など、映画文化を支える仕組みをつくる大高健志さんがミニシアター支配人にインタビューをする連載。3回目の今回は、地域に根ざした映画館から、映画のある暮らしを考える。

シネマ・ジャック&ベティ外観

学習塾の室長が映画館主になるまで

大高
お生まれは東京・吉祥寺とお聞きしましたが、どういった文化環境で育ったのでしょうか?

梶原
生まれてから大学卒業まで暮らしましたが、映画館が身近な存在でしたね。いまは僕が子どもの頃より人が多くなっちゃいましたけど、昔はそんなに多くなかったので、子どもたちだけでマンガの映画を観に行ったりしていました。
大学の途中から吉祥寺のライブハウスでアルバイトとして働かせてもらって、卒業後もそのまま何年かいさせてもらったんですが、そばに「バウスシアター」さんがあったので、観に行くこともありましたし、音楽映画で連携させてもらうこともありましたね。吉祥寺では大人になってからも映画を楽しめたので、文化の根ざした所だったと思います。

梶原俊幸さん

大高
元々バンドをやられていたんですか?

梶原
ひとに言えるほどしっかりやっていた訳では無いんですけど(笑)。ライブハウスに勤めていたのは、人が集まるところで文化的な何かや、コミュニケーションが生まれることに興味があったからです。現在の仕事とも繋がっている感じがします。

大高
その中で、映画の原体験というか、思い出に残っている作品はありますか?

梶原
子どもの頃、「スケバン刑事」シリーズを観に行ったんですけど、当時の映画館って同時上映でもう一本やっていたんですよね。そこで観たのが『皇家戦士』(1987)っていう香港のアクションでした。そういう映画を映画館で観たことが無かったというのもあって、「自分が観たかった映画以外も面白いじゃん」と気が付いたんですね。いろいろな映画を映画館で観たら楽しいだろうなって思ったきっかけでした。

大高
お目当てじゃないものを観ても意外と面白いなと。B面の方がいいと。
僕も映画に興味持ったのは同じような感じで、中学生の時に『ドラえもん』を観に行ったんですけど、満席で入れなくて。「せっかく来たんだから何か観て行こうぜ」って観たのが『12モンキーズ』(1995)で(笑)。映画って大体ハッピーエンドだと思っていたので驚きましたね。そういう事故みたいな時って記憶に強く残りますよね。

梶原
そうかもしれないですね。そういうことが起きるのも映画館があるからかなと。

左:大高健志さん

大高
ジャック&ベティの支配人になられる前は、どういった仕事をされていたんですか?

梶原
紆余曲折してという感じなんです。大学を卒業してからもライブハウスに2~3年いさせてもらって、24,5歳になっていたので、もう少し違う所も経験してみたいと思って、学習塾に勤めたんですよね。

大高
あ、また全然違う。

梶原
2年ぐらい室長をしていたのですが、授業の質を考えたいということで、もう一度大学に行くことにしたんですね。理数系の教育をやっている東京理科大の二部に入ったんですけど、学習塾が午後から夜までみっちり仕事なので、IT系の仕事に転職して4年かけて28,9歳の時に卒業しました。
卒業して時間に少し余裕が出来た頃、横浜の会社に勤めていた元の大学の同期から「黄金町という街があって、映画の舞台にもなるような昔ながらの雰囲気があるところだから遊びに来ないか」と誘われて、すぐに気に入って通うようになりました。当時から、現在の「黄金町エリアマネージメントセンター」や「黄金町バザール」につながる文化・芸術的なまちづくり活動も盛んで、我々も何か貢献できないかと、黄金町のまちづくりに関わるようになりました。

大高
まちづくりの文脈で黄金町にやってきたと。

梶原
はい。その流れの中で目をつけたのが映画館でした。当時は「ジャック&ベティ」の向かい側に「横浜日劇」という映画館があったんですよ。ジャック&ベティと日劇を同じ会社が運営していたんですけど、その会社が解体して、両館ともいったん閉館したのですが、ジャック&ベティは改装して10年くらいで設備も新しかったので運営再開していたんですよね。日劇の方は今は取り壊されてマンションが建っています。

横浜って、例えば黒澤明監督の『天国と地獄』(1963)でも描かれている映画の街なので、そこに映画館が残ってほしいな、映画館を応援できないかなと考えたんですね。黄金町は一斉摘発でガード下の風俗店が閉まり、それに伴い飲食店も閉まって人通りも少なくなって閑散とした状態で、これで映画館やっていけるのかなという感じでしたから。
そこで、当時ジャック&ベティの運営を再開させていた人たちにお願いして、ロビーで交流会をさせて頂いて、「協力できることないですか?」と聞いてみたり、街歩きしてブログで「こういった面白いところありますよ」とか発信したり、そういうことを始めていたんです。

大高
それはある種サークルというか、応援活動としてということですよね。

梶原
それを続けていたところ、運営を再開していた会社さんから「君たちが映画館を含めたまちづくりの活動を続けるなら、映画館ごと引き受けないか」という話をいただいたんです。
運営できる状態にある映画館なので、できるところまでやってみようかと。2007年の3月から我々が引き受けたんですね。横浜に誘ってくれた大学の同期と、同期の会社の後輩だった小林副支配人、そして私の3人で始めたんです。3人ともまだ20代でした。

東京や千葉からも!観客が集まるプログラム編成とは?

大高
そもそも最初からジャック&ベティと言う名前だったんですか?

梶原
そもそも、この場所の始まりは1952年にできた「横浜名画座」っていう映画館なんです。伊勢佐木町には新作映画館が他にあったので、名画座という位置づけだったんですね。ジャック&ベティになったのは1991年なので、今年で27年くらいですか。

これは先代の会社の人の話なので、聞いた話でしかないんですけど、「ハマの名物支配人」と呼ばれた福寿支配人という方がいたんですが、その方が片方はチャンバラや西部劇など男性向けを、もう片方はラブストーリーやロマンス中心の女性向けの作品を上映するスクリーンとして編成したそうなんですね。それで、男性と女性で誰もが知っている横文字の名前にしようというので、当時の英語の教科書の登場人物がジャックとベティだったらしいんですよ。

大高
太郎と花子みたいな。

梶原
本当にそういうことだったらしいです。途中からは必ずしも男女別の編成になっていなかったそうですが、ジャックの内装がブルーでカクカクとしていて、ベティの方が赤くて曲面的になっているので、こだわって作ったんだろうと思います。

大高
梶原さんが引き継いでからの上映プログラムは、どのような基準で編成しているのでしょうか?

梶原
引き継いだ頃はお客さんが少なくて、来てもらうために考えたのが、大きな映画館で上映する作品とは差別化して、ここでしかやっていないものを上映しようということでした。東京のミニシアターで公開されて、横浜の大きな映画館では上映されていない作品を中心に選ぶようになったと。それが、ミニシアター系の作品をやるようになったきっかけです。

大高
なるほど。

梶原
更に言うと、引き継いだ当時はこの界隈は「危ない街」というイメージが残っていて、女性のお客さんに「一人で行っても大丈夫な街なんですか?」と言われてしまうくらいでした。来てもらえれば分かってもらえて、次から嫌な顔せず来てもらえるんですけど、女性が来てもらえるきっかけを作らなきゃいけないなと。そこで女性に好まれる作品として岩波ホールさんやBunkamuraさんやシネスイッチ銀座さんの作品を2番館として上映させてもらうようになりました。今は平日だと女性のお客さんの方が多いですね。

毎月発行しているフライヤーには上映作品がずらっと並ぶ

大高
実は、僕も結構来ているんですけど、体感的に東京から来る人も多いんじゃないかなと思うんです。「東京で終わっちゃったから横浜に来た」みたいな。

梶原
それは我々も感じています。湘南新宿ライン開通や、東横線と副都心線の直通化で、横浜へのアクセスが便利になったことが要因の一つ。それから、最近は映画の公開本数が多いので、見逃し本数が多くなり、東京や千葉からも来ていただく方も増えています。

大高
めっちゃいいですね。確かにどんどん東京だと上映期間が短くなっちゃっているから、来る需要はありますよね。観光にもなるし。
上映した作品の中で、梶原さんが特に記憶に残っているものをあげるとすれば?

梶原
若松孝二監督には『実録・連合赤軍』(2008)からお世話になっていたこともあって、『キャタピラー』(2010)も東京の映画館と同発で、舞台挨拶に監督と主演の寺島しのぶさん、大西信満さんに来ていただきました。当館として『キャタピラー』が最高動員記録なんですよ。
若松監督は何でも自分でやる方で、当時混雑に不慣れだった我々を「そんな売り方じゃだめだ」とバンっと叱る訳ですよ。「パンフレットそこじゃだめだ、こっちだ」とか。そういうのを教えて頂いた印象が残っていますね。ベルリンで賞を獲った後すぐに電話くださって、「上映するでしょ」と上映を自分で決めたりとか、舞台挨拶も自分で決めたりとか、精算の時も自分で電話して「今回まぁまぁだったね」とか。
当時は1階に中華料理屋があって、若松監督は舞台挨拶を何箇所か回って最後にうちに来て、打ち上げをやるんですよ。酒飲んで豚足食べるために、うちで舞台挨拶やってくれていたって話もあるんですけど(笑)

大高
ちなみに何ていうお店なんですか?

梶原
聚香園(シュウコウエン)って言うお店です。下のお店は閉じてしまいましたが少し歩いた所にもう一店舗あるんですよ。まだ色紙が貼ってあったりします。

「中国料理 四川料理 聚香園」横浜市中区曙町1-4

大高
他に思い出に残った上映作品はありますか?

梶原
横浜の下町を舞台にした『私立探偵 濱マイク』(1994~1996)は、映画が林海象監督で3本作られて、テレビドラマ化もされているんですが、「横浜みなと映画祭 濱マイク大回顧展」という企画を2013年にやったんですね。ジャック&ベティでも上映したんですけど、「横浜シネマリン」さんと、いまは閉館してしまった「横浜ニューテアトル」さんの3館で、お客さんが回遊しながら楽しんでいただく企画でした。
皆さん濱マイクのパンフレットを持ちながら街を歩く訳ですよ。その時、映画で街に人が流れていると実感したんですよね。そういうことがまたやれないかなぁと思っています。そうすることで街も喜んでくださっていたはずなので。

地域のランドマークとして、街に貢献していきたい。

大高
(月間スケジュールをみて)これは何ですか?

梶原
「横浜中華街映画祭」を毎年秋にやっていて、中華街にある「同發」というレストランが会場です。同發新館は昭和30年代まで映画館だったんですよ。それが閉まってしまった後、同發さんが買い取られて改装して大広間みたいな感じで運営されていたんですけど、今はイベントで借りられるので、スクリーンと映写機と音響機材を入れて、映画祭をやると。中国・香港・台湾の映画を上映して、観た後、表に出ると中華街が広がっているという。
食事付券を出したり、チャイナドレス割引があったり。劇場やっているだけでは気付かなかった、映画の価値の持ち方というのは様々なんだなと中華街映画祭をやって感じました。

大高
『濱マイク』の時もそうですけど、街に景色を作るっていいですよね。パンフを持っている人とか、チャイナドレスを着ている人とか。僕たちが自主上映のプラットフォーム「popcorn」でやろうとしていることとも重なります。中華街映画祭に梶原さんはどういった関わり方をされていたんですか?

梶原
実は、国慶節など中華街にお祭りがある時期に合わせて、ジャック&ベティが主催でやっている映画祭なんです。スタッフが少ないため、私が企画から受付や映写などまで担当しています。きっかけは中華料理店・同發の社長さんと知り合って、「実は映画館だったところだからイベント出来そうだったらやってみて」と言われたことですね。
こういうのも含めて街と関わって野外上映や外部で上映会をやることは多いですね。結局そうやって積極的に街に出て上映することで、色んな情報や、コネクションや、お客さんを自分の劇場に生かせるのでいいことかなと。

同發新館

大高
今後、街で上映企画をやる際には「popcorn」をぜひ使ってください。
9月に「高円寺×阿佐ヶ谷映画祭」という企画を株式会社ポップコーンシアターとして開催したんですけど、JR中央線の高架下でなにかやりたいと株式会社ジェイアール東日本都市開発さんからご相談を受けて始まったんですね。今回はネット回線をWi-Fiでつないでストリーミング上映が出来るのが分かりましたし、いろいろな場所が上映スペースになるという手ごたえを感じました。
これまでのお話を伺ってきて、梶原さんにとって「映画館」は「まちづくり」の視点で経営されているような気がします。「まちづくり」「コミュニティ」「教育」と、これまで携われてきたことは同じ流れの中にあるのかなと思うのですが、いかがでしょうか?

梶原
元々映画館ビジネスをやっていた人間ではないので、どうやっていいか分かっていないのもあるんですけど、やはりまちづくりから関わって、映画館を引き受けるようになったので、根底にあるものは変わらないです。映画館を賑やかにして、街に貢献できればという考え方ですね。
更に言うと、運営しながら思ったのは、大きなシネコンはショッピングセンターに併設されていて買い物には便利なんですが、そういう場所にあるお店ってチェーン店ばかりなんですね。当館みたいな街の中にある映画館は、その街にしかない老舗のお店が映画館から歩いて5分くらいの所に色々あるわけです。それをお伝えできるようになりたい、なるべきだろうなと思っています。

大高
なるほど。映画館も個性的ですが、街にも個性がありますよね。

梶原
元々、映画館ってそういう位置づけだったんじゃないかなと思うんです。ですから当館も街のランドマーク的な存在になれたらいいなと思いますね。例えば半券サービスを受けられるお店のマップを配っているんですけど、映画館に来た人に街を見て帰ってもらえればと思って、仕組みもいろいろと工夫しています。

大高
映画館がある街ない街で違いは感じますか?いろいろなところに行かれていると思うのですが。

梶原
映画館の有無って結構大きな違いのような気がしていて、映画を軸に人が集まれる場所の有無は街や地域にとって意味があるんじゃないかと思います。具体的にどうかっていうとお伝えしづらいですけど。

大高
文化に対して興味を持っている人を街に可視化する場所っていう意味では重要かもしれないですね。ネットで見ているだけだと、皆それぞれ興味があっても傍からすると興味がある人か分からないので、なくてもいいかなって雰囲気が作られちゃう可能性もあります。

ジャック&ベティに来たら、野毛飲みをセットで!

大高
ジャック&ベティ周辺はどんな街ですか?外から来た人たちが楽しめる地域の魅力というとどんなところでしょう?僕的には「関内二郎」ですね(笑)

梶原
あー、ラーメンですね(笑)このあたりの位置付けとしては、横浜の中の下町です。下町と言っても東京と違うのは、外国人が多かった歴史もある点ですね。例えば、この辺は中華料理、韓国料理、タイ料理も多いですけど、あまり日本人向け化していないんです。タイ料理屋さんには大体カラオケついてて、タイの曲が全曲入っているんですよ(笑)。多文化エリアでもあり、湿っぽさが残っているところもあり、そこが魅力かなと。
伊勢佐木町は牛鍋の発祥地なので、「じゃのめや」さん「荒井屋」さん「太田なわのれん」さんなど老舗の味を楽しんで頂いてもいいですね。足を伸ばせば、関内や中華街に行けるので、そこも魅力かなと。

若松孝二監督御用達「聚香園」の「黒チャーハン」

大高
そんな中でジャック&ベティに来た時に、おすすめの散歩コースは?

梶原
黄金町エリアのアート展示を見て大岡川沿いを歩いていくと、古い建物の飲み屋街が始まるんです。そこから野毛に入って、一杯やりながら映画の話をしていただいて、桜木町から帰るっていうのがいいかなと。

大高
商店街みたいな場所があるんですか?

梶原
都橋商店街って、再開発で小さい飲み屋をいれたような場所があります。11月公開の関根光才さんの『生きてるだけで、愛。』を観ていたら、しっかり映っていて、映画の舞台にもなるところなのでおすすめです。横浜はエリアごとに色んな魅力があるので、映画とともに楽しんでもらえればと。

中華料理を食べた後はバーで一杯

大高
最後に、最近の街の変化や、新しい動きはありますか?

梶原
2階が宿泊施設になっている芝居小屋「若葉町ウォーフ」は泊りで稽古したりできるそうで、アート系の人の流れが増えてきている気がします。
それから、『カメラを止めるな』の上映時は若い人が結構来たんですよね、0代後半の女の子が来ると「なにここ新しい」とか「なにここうける」みたいなこと言うんですよ。彼女たちの映画館のイメージはショッピングセンターの中にあるっていう感覚だから、そういう人に来てもらえて良かったなと。新しい世代は感覚が違うんだなと実感しつつ、こういう街の映画館で観てもらう良さを発信していきたいですね。
今日は私の話ばかりしてしまいましたが、大高さんのようにいろいろな場所で楽しめる映画体験をつくっていただければ、新しい可能性も見えてくると思います。

【取材を終えて ~大高健志さんの感想~】

雑然とした伊勢佐木町の裏通りに突如現れる映画館「ジャック&ベティ」。同館の魅力は、「まちづくり」の一つの解として映画館を作った背景にあると思いました。映画を広める為に映画館を始める人は多くても、まちづくりの為に映画館を始める人とはなかなか出会いません。特に、地域に根付いたファンコミュニティを作っているお話は本当に興味深かったです。
みなとみらいや馬車道など美しく整った「外向きの横浜」を背にして内陸に目を向けると、地元の商店街・伊勢佐木町、そして現代アートでまちづくりをしている黄金町エリアがあります。「外向きの横浜」ではない「ディープな横浜」の中に映画館があることは、文化の命脈をつなぎ、まちづくりを持続させる上で重要なロケーションだと思いました。歴史と生活と未来が混在とした場所で映画を見るワクワク感は何度行っても薄れない気がしています。そして、私は「関内二郎」が大好きです。

 

(取材・構成:大竹 悠介)

梶原俊幸(かじわら・としゆき)

1977年神奈川県横浜市生まれ、東京都育ち。シネマ・ジャック&ベティ支配人。慶応義塾大学環境情報学部卒業後、ライブハウスに勤務。その後、学習塾やIT企業勤務を経て、黄金町エリアの町おこし活動に参加したきっかけから、2007年3月からシネマ・ジャック&ベティの運営を引き継ぐこととなり、株式会社エデュイットジャパンを設立。

シアター ジャック&ベティ

横浜・中区若葉町にある2スクリーンのミニシアター。新作ロードショーから監督・俳優特集、映画祭などの開催まで、新旧、洋画も邦画も問わず、幅広いジャンルの映画を上映するのが特徴です。1991年、立て直しと同時に、「名画座」から改称し、現名称になりました。前身である「名画座」の開館は1952年、第2次大戦後に接収され、米軍の飛行場となっていた現在の場所に建てられました。「名画座」時代も含め、この地で60年以上の歴史を持つ劇場です。

住所:〒231-0056 横浜市中区若葉町3-51
電話:045-243-9800
アクセス:
◆京浜急行線 黄金町駅下車 徒歩5分
◆横浜市営地下鉄 阪東橋駅下車 徒歩7分
◆JR線 関内駅北口下車 徒歩15分
公式WEBサイト:http://www.jackandbetty.net/

大高 健志 (おおたか・たけし)

Motion Gallery代表 / popcorn共同代表
早稲田大学政治経済学部卒業後、外資系コンサルティングファームに入社。戦略コンサルタントとして、主に通信・メディア業界において、事業戦略立案、新規事業立ち上げ支援等のプロジェクトに携わる。その後、東京藝術大学大学院に進学し映画製作を学ぶ中で、クリエーティブと資金とのより良い関係性の構築の必要性を感じ、2011年にクラウドファンディングプラットフォーム『MotionGallery』を立ち上げ、2015年にグッドデザイン・ベスト100受賞。2017年にマイクロシアタープラットフォーム「popcorn」を立ち上げた。

Writer:大竹 悠介

「ブリリア ショートショートシアター オンライン」編集長。大学院でジャーナリズムを専攻した後、広告代理店勤務を経て現職。「映画体験の現代的な価値」をテーマに全国の取り組みを継続取材中。ショートショートではWEBマネージャーやクリエイターコミュニティの運営を兼務。

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