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COLUMN
Aug. 15, 2020

【シネコヤが薦める映画と本】〔第24回〕『わたしはロランス』〜紛れもない“わたし”でいること〜

夏の光が眩しい江ノ島から電車で一駅。閑静な住宅街に囲まれた鵠沼海岸商店街の一角に佇む「映画と本とパンの店・シネコヤ」。こだわりの映画と本を用意して街の人たちを温かく迎える竹中翔子さんが、オススメの1本と1冊をつづる連載コラム。
今回は、グザウィエ・ドラン監督の『わたしはロランス』について。

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1989年カナダ生まれの映画監督グザヴィエ・ドランの映画は、ジャンルで言うと“オシャレ映画”という印象で(そんなジャンルがあるのかどうかはわからないが)、ファッショナブルで、アンニュイで、感覚的に観る映画なのであろうな…と勝手に想像していた。
ところが、『わたしはロランス』の鑑賞開始1分で、そのイメージは見事に覆された。
これは想像していたような、飾り物に溢れた映画では無い。

© 2020 hiroki kawai / SPACE SHOWER FILMS

【あらすじ】
国語教師のロランスは、30歳の誕生日、恋人のフレッドにある秘密を打ち明ける。
「僕は女になりたい。この体は間違えて生まれてきてしまったんだ」。
それを聞いたフレッドは、一時はロランスを激しく非難するも、あらゆる葛藤を乗り越えようとロランスの最大の理解者、支持者として、一緒に生きていくことを決意するが…。
周囲の偏見や社会の拒否反応の中で、ふたりはお互いにとっての”スペシャル”であり続けることができるのか…?

当時若干23歳でこの映画を監督したグザヴィエ・ドラン。
ロランスを最初は受け入れようとするも、あることをきっかけに受け入れることが難しくなってしまうフレッド。ふたりの間には他には変えられない愛情がありながらも、それだけでは整理のつかない掛け違いが生まれてしまう。ふたりの言葉の掛け合いが、あまりに秀逸すぎて、23歳という若さでこの言葉が紡げるのか…とその文学的な知性に驚かされる。

© 2020 hiroki kawai / SPACE SHOWER FILMS

これぞ総合芸術という映画

驚かされるのは知性だけではない。映像がとにかく美しい。
インテリア、壁紙の色、ヘアスタイル、衣装、カットワーク、そして音楽…
『わたしはロランス』の全てが、「映画は総合芸術」と言われることに説得力を持たせる。状況の変化とともに変わるフレッドの髪型、徐々に解き放たれていくロランスの衣装。スローモーションで体感を伝え、音楽で感情を教えてくれる。これを総合芸術と呼ばずして、なんと呼ぶか。
写真集を見ているような美しいカットが続く。静と動を巧みに操り、時間芸術×空間芸術の総合性を余すことなく表現している。更に台詞による文学性が物語に奥行をもたらし、スクリーンの中に無限の世界が広がっていることを知らされるのだ。

4歳から子役として活躍してきたグザヴィエ・ドランは、多くの映画を現場で体感し、その感性を磨き上げてきた。19歳で監督をした『マイ・マザー』(2009)から、彼の神童性は開花し、映画史に名を刻む映画監督として現在も注目され続けている。

© 2020 hiroki kawai / SPACE SHOWER FILMS

早熟な感性―「グザヴィエ・ドラン」という作品

彼の映画は、一貫した画作りとテーマによって「グザヴィエ・ドラン」という作品を作り上げている。必ず“相容れないもの”たちが登場し、掛け違いの関係性を表現しているのだ。

『マイ・マザー』『Mommy/マミー』では、母親と息子という関係性を、『胸騒ぎの恋人』では、友人と恋人という関係性を、『たかが世界の終わり』では、家族・親族という関係性を。
いずれも親しい関係性の中において、相容れない凹凸が存在している。それはまるで噛み合わない歯車のようにギシギシと音を立てる。わかり合えないことを既に知っているのに、どこかピタリと合うことができる(あるいは合わせることができる)のではないかという幻想を求めて、渇望する様子が痛々しい。
まちがいなく“愛”と呼ぶべきものがそこにはあるのに…彼らは何故相容れないのか。
周囲との噛み合わなさや葛藤、その苦しみを吐き出すように、映画は観る者の感情を揺さぶる。

どうして23歳という若さで、その掛け違いの陰影を知っているのか?
私はというと30代半ばになってなお人生の青二才という感じ。やっと相容れない関係性における許容や機微を知った頃なのに、グザヴィエ・ドランの成熟の早さを羨ましく思う。

© 2020 hiroki kawai / SPACE SHOWER FILMS

紛れもない“わたし”でいること

グザヴィエ・ドランは、自身が“ゲイ”であることを告白している。作品中でも、主人公が“ゲイ”であることを“当然のもの”として象徴的に置いている。

『わたしはロランス』においては、男として生まれ、女である自分を受け入れ、現在の恋人の女性を変わらずに愛し続ける“ロランス”が当たり前の存在として中心に立つ。
フレッドとロランスの会話が心に残る。

「あんたはゲイ それ以外の何者でもない」
「男が好きなわけじゃなく 間違った体で生まれた。これは自分じゃない」

“ゲイ”という当然でないものから更に理解不能な中に置かれてしまうロランス。幾度もロランスが“ロランス”であることを許さない社会との、歯車の合わなさを感じる場面に遭遇する。それを必死で受け入れようとするフレッドの、ロランスを愛しているが故に葛藤する姿は「感動」なんて安い言葉では表せないほど美しい。
そしてラストに向けて、せめてふたりの歯車が合いますように…と願ってしまう。

© 2020 hiroki kawai / SPACE SHOWER FILMS

この映画に出会い自分の中にある固定観念が、素晴らしくいい意味で崩れていった。
男であること、女であること、また、その両方でもあり、あるいはどちらでもない…「わたし」は「わたし」なのである。あらゆる点において自分であることを羞耻してはいけない、「紛れもない“わたし”でいること」を教えてくれる映画だ。

【おすすめの本】 「ユリイカ 2020年4月号特集=グザヴィエ・ドラン …若き俊英のすべて」

2020年|青土社

【おすすめの映画】『わたしはロランス』

2012/カナダ・フランス/168分
監督:グザヴィエ・ドラン
出演:メルビル・プポー/スザンヌ・クレマン/ナタリー・バイ
シネコヤにて上映中〜8/23(日)まで

「映画とパンの店・シネコヤ」

【営業時間】
営業時間:9:00〜20:00
毎週木曜日定休
【アクセス】
神奈川県藤沢市鵠沼海岸3-4-6(鵠沼海岸商店街 旧カンダスタジオ)
小田急江ノ島線「鵠沼海岸」駅から徒歩3分くらいです。
【問い合わせ】
TEL:0466-33-5393(代表)
WEB:http://cinekoya.com/

Writer:竹中翔子(たけなか・しょうこ)

株式会社シネコヤ代表取締役
学生時代に映画館のアルバイトスタッフを経験し、映画の魅力にハマる。地元映画館の閉館を受け「もう映画館はダメだ!」と思い、映画だけではない+αの空間づくりを目指し、「シネコヤ」として本格的に活動をはじめる。鵠沼海岸のレンタルスペースで毎月2回、フードや会場演出をこらした映画イベントを主宰。2017年4月鵠沼海岸商店街の一角についに「シネコヤ」をオープン。貸本屋を主体とした「映画と本とパンの店」というコンセプトで新たなスタイルの空間づくりを行っている。

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