映画看板の街として知られる東京都青梅市。かつて市内に映画館が3館あり、西多摩地域の文化の拠点として栄えた街に、2021年5月ミニシアター「シネマネコ」が新規開業する。場所は織物産業が栄えた青梅市の歴史的建造物「旧都立繊維試験場」。 なぜ、どんな想いで「シネマネコ」を立ち上げるに至ったのか。どんな場所に育てていくのか。オーナーの菊池康弘さんに話を聞いた。
菊池康弘さん
ーまず菊池さんがどんな方なのかお伺いします。ご出身は青梅でしょうか。
菊池
日野市で生まれて、小学1年生の時に青梅に引っ越してきたので、育ったのはほとんど青梅ですね。小中高と地元で育って、高校卒業後はフリーターで飲食店のアルバイトをしていました。
ー以前は役者をされていたそうですが、演劇の道に進んだのはどんな経緯が?
菊池
小さい頃から映画が好きで、映画はずっと観ていました。高校を卒業してもすることがなくて、自分は将来何をやりたいか考えたときに、役者目指そうかなと思ったんですが、飲食店でバイトしながらオーディション雑誌見るぐらいの感じだったんです。そして、20歳のときに子どもができて結婚するんですけど、それを機に「役者やろう」と思って。
ー・・・ほう。
菊池
やりたいことをやっている姿を子どもに見せたいなと。夢を追うというか。結婚して家庭をもつと、定職についたり社員になったりするじゃないですか。そういう考えが好きじゃなかったんです。子どもや家庭を理由にして、やりたいことができなくなるのは嫌だなと思って、奥さんを説得したんです。ちょっと今から俳優やるって(笑)。アルバイト先の飲食店で店長や社員になる話もありましたが、それを蹴って、俳優の道に進むと。
ー結婚したから堅い仕事に行くのではなく、覚悟を決めて俳優になると。
菊池
その時はツテもないし、どうしたら俳優になれるのかも全くわからなかったんですけれど。でも、生計を立てる為にやりたくないことを嫌々仕事にするくらいなら、貧しくても苦しくても好きなことをやりたいなと。そこでアルバイトを続けながら、俳優を目指して行動を起こすようになりました。なので、子どもができたタイミングで踏み出せなかった一歩を踏み出したところはありますね。
ーそして演出家の蜷川幸雄さんにたどり着くという・・・
菊池
俳優初めて2~3年ぐらいですかね、いろいろな劇団や養成所に行きましたが、あまりよい機会には巡り会えず、それなら舞台演劇で一番すごい人のところに行こうと。当時は蜷川さんの舞台に強く影響を受けていたので、蜷川さんのオーディションを受けました。120~130人ぐらい受けて、1回10人ぐらいですかね、合格できるのが。
ーどんな舞台だったんですか?
菊池
舞台ではなく「ニナガワ・スタジオ」という蜷川さんが主催しているスタジオがあるんですよ。蜷川さんの舞台って出演者をいっぱい使うので。スタジオに所属して演技を磨いていると、セリフはないけどちょっとした役に選ばれたりするんです。自分たちでお芝居作って蜷川さんに見てもらったり、エチュード(即興劇)を作って披露したりもしましたね。
ー俳優時代に影響を受けた方は?
菊池
毎日のように蜷川さんの舞台の稽古を見に行って俳優さんをいっぱい見ていたんです。大竹しのぶさんとか、唐沢寿明さんとか。蜷川さんの舞台の常連と言われるような人たちにすごい影響を受けました。
ーどんな影響を受けましたか?
菊池
一緒に共演できるって感覚がないぐらい圧倒的なお芝居なんですよね。リアルな芝居の、呼吸使い、所作もそうなんですけど、熱量って言うんですか。映像で伝わる凄さもあるんですけど、生の、リアルな体感がありました。それからオンオフ。稽古に入らない時と入った時のスイッチっていうんですか、空気が変わるんですよ。蜷川さんと共演されている俳優さんたちとか女優さんたちをみているうちに、だんだん自分がプレイヤーというよりは、作り手側に行きたいと思うようになっていきましたね。
ーその後、上川隆也さんの付き人をされたそうですね。
菊池
上川さんに付いたのが23歳の時で、4年間やりました。大河ドラマ『功名が辻』に主演されているタイミングで、映像でも舞台でも一流の現場をたくさん見させて頂きました。やはりそこでも蜷川さんのときと似たような感覚があって、演じる側は自分にはできないなと感じて。自分は制作側に行くのも楽しいんじゃないかと思っていました。
ー制作側の楽しさはどんなところにあると思いましたか?
菊池
映画の世界なんて特にそうですが、自分たちは映らないけれど、作ったものを形にすることに情熱を持っているんですよね。照明とか、カメラマンとか、美術の人とか、自分の技術とプライドをもって仕事をしているのがかっこいいと思いました。そういう人たちを見ていたら、裏方にスポットを当てたいなと。演出家も監督もそうなんですけど、作品をつくって世に何かを伝えるという方が、僕としてはやりたいし向いているかなと。なおかつ現場を一緒に作り上げていく感じ、チームみたいな感じがすごく良かったですね。
ー上川さんの付き人を4年されて、その後、映画やお芝居の世界に残らず青梅に戻ってきたのにはどんな理由が?
菊池
芝居に対して全く興味がなくなったんですよ、その時期に。それまでは舞台や映像が本当に好きだったのが、なんか違うなって気づいた時に、「じゃあ、一度離れてみよう」と思って地元に戻って、飲食店でアルバイトを続けてきた自分にできるのは飲食だと思って、自分の店を始めたんです。それが29歳の時です。
ー現在は飲食店経営がお仕事ですね。
菊池
最初は炭火焼きとり屋ですね。駅から徒歩20分ほど離れた場所で25席程の小さなお店でした。現在は「火の鳥グループ」として青梅市内を中心に「炭火焼きとり火の鳥」2店舗「海鮮火の鳥」「餃子火の鳥」の全4店舗を展開しています。
ー飲食店経営のやりがいは?
菊池
10年ぐらいずっと地元を離れていたのですが「地元です」みたいな感じで言うと地元の方々が喜んでくれて、頑張ってお店をやっていたらすごく応援してくれたんですよ。
もともと飲食店って嫌いだったんですよ。お金稼ぐためにやっていたアルバイトだったので、あんまり好きじゃなかったんです。ですが、一度お芝居を離れて、飲食店だけに打ち込んだら、意外と楽しくなってきて。「人のためになっている」実感を得るようになったんです。それは俳優の時に欠けていた気持ちだと思います。求められる存在にならないと、何をやっても成功しないというかうまくいかないなと。それは自分で飲食店経営をすることになって一番痛感しましたね。
工事中のシネマネコ(2021年3月撮影)
ーそれでは、「シネマネコ」についてお話を伺います。そもそもミニシアターを作ろうと思った理由は?
菊池
地元のお客様に飲食店以外で楽しみというかエンターテインメントを届けたいと思ったのがきっかけです。青梅ってあんまりないんですよね、エンタメが。自然があってアウトドアは盛んですが、文化的な楽しみがあまりなくて。映画館を作るアイデアはこのプロジェクトが始まる前から考えていたんです。
青梅って昔は映画館が3館あって、映画で栄えた街なんですよ。もうお亡くなりになられていますが、久保板観さんという映画看板師が昭和レトロな映画看板をずっと描き続けていた街なんです。「映画の街」っていうイメージは青梅にぴったりだし、映画や演劇の世界に携わっていた自分の立場で、エンターテイメントが作れないかと。
キャプション青梅市内の映画看板
ー青梅市でやりたかった?
菊池
そうですね、青梅以外は考えていませんでした。地元のお客様に嫌いだった飲食店を楽しませていただいた経験から、地元で事業をしていきたいという気持ちがあるんですよ。映画館や飲食店事業以外でも、青梅に根付いた何かを再構築して形にしていくというのは、僕の会社が手がける事業のコンセプトになっていくと思います。
ーお客さんに支えられて今があるから、それを何かの形で還元したいということですね。
菊池
それはありますね。それから映画文化があった街が、そのまま終わってしまうのがちょっと寂しいというか。自分が育った街で新しい映画館を作れば、昔映画を見て楽しんだご年配の方に、過去を思い出して元気になっていただけるのではないかと。映画館を作ることは、街のストーリーと繋がっているんです。僕が映画館を作りたいっていう個人的な思いからではなく、映画で栄えた街のストーリーに繋がる形で映画館を作っています。
ロビー
ー開業地に、旧都立繊維試験場を選んだ理由は?
菊池
青梅のタウンマネージャーに「映画館が作りたい」と相談したところ、織物組合の建物を紹介されまして。それで見学させてもらったところ、天井高があってスクリーンも見やすいし、国の登録有形文化財を活用する文脈もいいだろうと。
国の登録有形文化財をそのまま保存していても建物だけ見て終わってしまうけれど、人が集まるプレイスになれば、よりその文化財のことも知ってもらえます。文化財の活用という観点から見ても、映画館にするというのは意味があることだと考えました。
経済性から言えば、新しく建てた方が安上がりですし、工事も楽なんです。ですが、ただ映画館を作ったら「青梅に映画館ができた」で終わるけれど、織物工場を活用したと言えば青梅が織物の街というのを知ってもらうきっかけになるんじゃないかなと思って。そこもまたさきほど言ったストーリーのプラスアルファに入ってくるからいいなと思いました。それで「ここでやりたいです」と言いました。
ー建物自体は元々どういう使い方をされていたんですか。
菊池
出来上がった製品チェックや出荷をやっていた建物だそうです。同じ敷地にある織物工場跡の建物にはアーティストの工房があったり、アートの教室があったりします。映画館が加われば、人も集まって交流も広がる、すごく楽しい場所になるんじゃないかなと思っています。
ーここが目的地になって人の流れが街の中にできそうですね。
菊池
そうですね、それが一番嬉しいですよね。
開放的な大きな窓が特徴のブックカフェ
ー建物を改装するにあたっての難しさは?
菊池
やっぱり木造なので耐震・耐火の観点から見て難しさはありました。消防法とか建築基準法とか、要は現行の建築物の法律ができる以前の建物なので、それを改修して人が集まれる建物にするのがまず大変でした。それができた上で映画館にできるわけなので。クリアできたのは専門の建築家や構造設計の方のおかげですね。
ー不燃材のボードを入れるなど、細かくやっていくと。
菊池
歴史的建造物の外観はいじれないので、中からの工事です。イメージですが、建物の中にもう1個建物を作る感じですかね。外側は木だけど、中は燃えないような素材で覆って映画館を作るみたいなイメージなので。それは大工さんと設計の人たちにとっても難易度が高い、やったことがない工事だと思います。
ー映画館としての設備はどのようなものですか?
菊池
座席数は63席。横5.7m×縦2.55mのスクリーンで、DCP上映です。座席は2018年に閉館した新潟県十日町市の「十日町シネマパラダイス」から譲り受けました。青梅や猫をテーマにしたブックカフェも併設して、映画を観なくてもカフェだけ利用いただくこともできます。
座席は偶然にも外壁と同じ「青」。
ー想定する来場者は?
菊池
飲食店もよくペルソナ的にターゲットを絞ると思いますが、僕は絞りたくなくて。一言で言えば「地域住民とか全員」です。
編成の観点から言うと、自分が上映したいものではなく、お客さんのニーズに合わせた作品を提案していきたい。お客さんのニーズが反映される映画館だから地域に根付くというか、地域から愛されるような場所になると思うんですよね。番組編成や作品選定を工夫すれば、みんなの生活に溶け込んだ映画館になるんじゃないかなと。
例えば、奥様方が映画を観たあと隣のレストランでランチやお茶をして帰ったり、サラリーマンの方が仕事終わった後に一本映画を観て帰る流れができたり。近くに高校があるのですが、高校の授業が終わった後に家に帰るまでの時間、女の子同士でワイワイできるし、デートにもちょうどいい(笑)。隙間時間ってあると思うんですよ。皆さんの1日の生活サイクルの中に。その隙間に、映画館が日常に溶け込んでいくのが良い活用のされ方なのではないかなと感じています。
ー学校の放課後に映画を観るっていうのは素晴らしいことですね。
菊池
良いですよね。映画好きな子だったら、近くにあったら行きたいと思うだろうし、こちらから学生に向けて映画のワークショップとか、俳優の演技指導とか、イベントを届けられたらいいのではないかと思っています。学生たちが自分たちでショートフィルムを撮って、それを実際に劇場で流してみたりしたらどんどん興味湧いてくるのではないでしょうか。クリエイターも輩出できるかもしれない。映画館を映画を観て終わる場所にするのではなくて、人生を豊かにする場所として活用してもらいたいですね。
ーオープン日は決まっているのでしょうか?封切りの作品は?
菊池
オープンは5月2日で、4月の後半はレセプションとプレオープン期間です。封切り作品はある程度決まっています。「ネコ映画祭り」がやりたくて、スタジオジブリと直接交渉したんですよ。そしたらまさかのオッケーをもらいました。これ結構すごいことなんです。権利関係の絡みがあって「ジブリとディズニーは無理だよ」っていろいろな劇場から言われたんですが、直筆で手紙を宮崎駿さんに書いたんです。そしたら、広報部の方から詳しく話聞かせてくださいってお返事をいただきました。質問のやり取りがあって、しばらく待つ時間があったので、これはダメかなと思っていたら、「社内で協議した結果『猫の恩返し』をお貸しします」って連絡が来て。まじかよ!と思って(笑)
ー想いが届いたと。
菊池
スタジオジブリの歴史でも、柿落としの作品として問い合わせのあった劇場は初めてだったらしくて、どう対応したら良いかわからないのでちょっとお時間くださいみたいな。去年はリバイバル上映でスタジオジブリ4作品が映画館でかかっていましたが、『猫の恩返し』に関しては、たぶん今まで日本のどの映画館もリバイバル上映していないと思います。
サインには猫をあしらう
ーところで、「シネマネコ」という名前の由来はなんですか?
菊池
ネーミングも青梅に由来しています。青梅では「西の猫街」をテーマに街を盛り上げる活動を地域の商業関係者がやっていて、猫のお祭りなどもあります。織物産業が栄えた時代、ネズミ退治のために猫がいっぱいいたことに由来するそうです。
この文脈で、映画館で猫のキャラクターとグッズをつくって「猫」を打ち出して行こうかなと。カフェも猫をモチーフにしたドリンクと料理を出したいなと思っていて、カフェラテに猫の形が描かれた「猫ラテ」や、ツナのホットサンド「キャットサンド」みたいなのを作ろうかと。決して猫が流行だからと言う訳ではなく、地域のストーリーがちゃんとあるんですよ(笑)
街中には映画看板と一緒に猫の絵をモチーフにした看板もあります。なので、そこもちょっとフューチャーできないかなと思っています。「シネマネコ」という映画館ができれば、「猫も映画もある街」として認知されると思います。
ー上映の他に、イベントのご予定などはありますか?
菊池
ちょうど今日も企画会議をしていましたが、月1ぐらいで猫にちなんだイベントをやったり、映画の作品に出てくる料理をカフェで提供したり関連する書籍を置いたりしたいですね。
夜中のナイトシネマもやってみたいです。夏にB級ホラー映画祭りなど。こちらに限っては地元向けというよりは、SNSを活用して好きな方たちに都内から来てもらって、青梅のどこか宿に泊まって帰る企画を考えています。
ーゴールイメージというか、こういうふうになったら成功したなというのは描いていますか?
菊池
青梅に住んでいる方々が、他所の地域の誰かに「青梅ってどういうところ?」と聞かれた時に、「シネマネコって映画館があるよ」って答えていただけるようになるのが、まずは第一段階。地元の人たちがみんな知っている存在ですね。それから僕の知らないところで映画館の話題がでて、「青梅に映画館ができたらしいよ」とか、「青梅行ってみよう」とか、みんなの中でシネマネコが共通言語になってくれたら成功だと思います。
ー5年後の姿ってどういう風に想像していますか?
菊池
3年前にフランスのカンヌ国際映画祭に知り合いの映画プロデューサーが出品しまして、視察に僕もついていったんですよ。映画祭の雰囲気がすごいと思って、その時にまた戻って来たいなと思ったんです。なので、5年後ぐらいはシネマネコで作った映画をひっさげて、カンヌにいきたいなと(笑)
藍染工房が青梅にもありますが、藍を染めている職人さんの中で若者が成長していく過程を脚本にしました。カンヌに出せるかはわからないですが、5年後ぐらいまでには形にしたいなと思って準備を進めています。5年ではなく、10年15年後かもしれませんが、本当にいいものを追求して作っていれば、夢のようだけど夢では終わらないんじゃないかと思っています。
(取材:大竹 悠介)
菊池康弘(きくち•やすひろ)
高校卒業後、俳優を目指し約10年ほど奮闘する。
出演作品はNHKの大河ドラマなど多岐にわたり、世界的に有名な演出家である蜷川幸雄氏の元で演技を学んでいた時代もあった。
その後、29歳で俳優業を辞め心機一転、地元である青梅に戻り飲食店、炭火やきとり火の鳥をたちあげる。
3年後、株式会社チャスを設立。2020年コロナ禍で経済が不安定になり世界各地で混乱が起きるなか、3店舗を新規出店。青梅市内を中心に飲食店を展開中。
エンターテインメントの力で人々に笑顔を!というコンセプトのもと、長年進めてきた「青梅に映画館を復活させる」というプロジェクトを本格始動させ、ついに2021年5月2日に映画館「シネマネコ」オープンする。
青梅に関わる、リノベーションビジネスをジャンルを問わず幅広く手がけている。
クラウドファンディングを2021年4月30日まで実施中
「シネマネコ」では2021年4月30日までクラウドファンディングを実施中です。支援は備品購入費やグッズ製作費に充てられます。
リターンには劇場招待券やオリジナルトートバック、貸切「ワンナイトシネマ」券なども。
詳しくはこちら
Writer:大竹 悠介(おおたけ・ゆうすけ)
「ブリリア ショートショートシアター オンライン」編集長。大学院でジャーナリズムを専攻した後、広告代理店勤務を経て現職。「映画体験の現代的な価値」をテーマに全国の取り組みを継続取材中。
Twitter:@otake_works